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カテゴリー「修行編」の記事一覧

今あらためて2年間を振り返ってみて一番感じることは、
人との出会い、つながりの大切さということです。

もちろん、豆腐製造についての技術を学べたということは、
僕の人生においてかけがえのない財産となりました。
大桃さんからは、とてつもなく大きなものをいただきました。

しかし、それも大桃さんとの出会いがあったからです。
そして、大豆問屋さん、機械屋さん、
こうざき自然塾の鈴木さん、
たくさんの豆腐屋仲間、
神山酒店さん、ゆうゆうさん、寺田本家の方々・・・

2年間、自分なりに一所懸命豆腐づくりを学んできたつもりです。
でも、開業に向けて具体的に自ら動くといったことはありませんでした。
こうなりたいなぁという想いは持っていました。
それを周りの人たちが感じてくれて、線路をひいてくれたような感じです。


アルボムッレ・スマナサーラ著「ブッダの幸福論」という本に、
「好きな仕事」ではなく「できる仕事」
をしなさいというようなことが書かれています。

好きこそものの上手なれとはいいますが
それなら歌が好きな人はみんな歌手になってしまいます。
「好き嫌い」というのは人間ころころ変わるということもあります。
そうではなくて「できる」からその仕事が好きになるというのがほんとのところだと。

僕は「できる」仕事を見つけられたのだと思います。
僕が唯一自分を誉めてやるとすれば、そのことについてです。

その仕事を必死にやれば、
自然と周りの人たちが応援してくれて、
道が開けてくるのかなと今は感じています。

そう考えるとなおさら自分一人ではなにもできないと思えてきます。
「みんなに生かされている」と身にしみて思います。

「月」、は自ら輝くことはできません。
「月のとうふ」もそうです。
それを応援してくれる人たちの想いが、
「月のとうふ」を輝かしてくれるのだと思います。

今まで会った全ての人、
これから会う全ての人、
ありがとうございます。

(修行編 了)

こうざき自然塾の鈴木さんは、米、麦、大豆を中心に
じゃがいもやヤマトイモなどを栽培する穀物農家さんです。

今までの農協ありきの農業に早くから危機感を抱き、
自ら販路を開拓し直販を中心に営まれています。
農産物を加工し販売していくというのも、
これからの農家生き残りの一つの方策として
積極的に行ってらっしゃいます。
豆腐についても大豆の加工品ということで、
とても興味を持っていただきました。

修行期間の二年が終わる頃、僕の豆腐づくりに対する想いは、
大豆の栽培から関わっていきたいと強く思うようになっていました。

そうして、鈴木さんと何度か話すうち、おたがいの想いが重なり、
「こうざき自然塾のとうふ」は少しずつ形になっていきました。
しかし、豆腐屋開業というのは、
どこでやるにしてもけっこうな投資となります。
簡単にスクラップ&ビルドというわけにはいきません。
それなにり慎重にならざるをえません。

僕も鈴木さんも、
「本当に神崎町で豆腐屋が成り立つのか・・」
というのが迷いとしてありました。

そんな中、大桃さんから、
大桃豆腐の定休日である日曜日を利用して
「こうざき自然塾のとうふ」を製造し
月曜日に神崎で売ってはどうかと話がありました。

本当に嬉しかったです。
こんな最高なアイデアをいただき感謝の言葉もありませんでした。

こうして「こうざき自然塾 月のとうふ」は生まれました。

大桃豆腐では日本全国の様々な大豆を使用しています。
その中の一つ、千葉県の在来種の大豆を生産していただいていたのが、
こうざき自然塾の鈴木さんでした。

昨年の冬、大豆問屋さんの取り計らいで、
こうざきき自然塾の味噌造りのお手伝いに行きました。
味噌造りのあと、鈴木さんのご提案で近くの酒蔵に見学へ行くことに。

歩いて数分、鈴木さんのところからすぐそばに酒蔵はありました。
それが「寺田本家」さんでした。

「寺田本家」さんが「神崎町」にあるのは頭では認識していましたが、
それが実際千葉のどの辺りにあるのかはよくわかっていませんでした。

また、「こうざき自然塾」にしても同じで、「こうざき」と言うくらいですから、
神崎町にあるのだろうとは当たり前にわかっていましたが、
実際の地理についてはまったく知らず・・・

なので「寺田本家」と「こうざき自然塾」が
同じ町にあるということが、全然わかっていなかったのです。

鈴木さんの家から「寺田本家」が
目と鼻の先にあるのを知ったときはほんと驚きました。

二年前、「寺田本家」さんの「お蔵フェスタ」で
「大桃豆腐」の事を知り、そこで働くことになり、
気がつけばまた「寺田本家」さんのある場所へ。

なにか運命というか縁というか、
面白いことになってきたなぁと感じないわけにはいきませんでした。

この時、神崎町で豆腐屋という想いが生まれたように思います。

大桃豆腐では僕が大桃豆腐で働き始めた2007年から、
大豆3反プロジェクトというのをやっています。

茨城県結城市にある農事組合法人宮崎協業さんの
畑を借りて大豆を中心に農作物を作っています。
といっても定休日の日曜日しか畑に行けませんので、
自分たちでできるのは3反+α程度です。
なので3反プロジェクト。

お店のお客様を中心に会員を募集し、
毎日曜日ごとに参加者を募り、
畑の耕耘から種まき、草取り、収穫、脱穀、
そして収穫した大豆での味噌造りと
1年をとおして土と触れあい命の営みを体感していきます。
また、農家さんとの交流を通じて、「農」をとりまく状況を知り、
それと直結している「食」について考えていくきっかけづくりでもあります。

この3反プロジェクトは豆腐屋にとってどういう意義があるのでしょうか。
豆腐の原材料は大豆です。
豆腐屋がまずその生産に対して関心を持つのは当然と言えます。
だから、農家さんを訪ねて圃場を見学したり栽培方法などについて
話を聞くということはあることだと思います。

しかし、大桃さんはそれだけでは飽きたらず、
自分自身で大豆を作ろうと思われたのです。
3反プロジェクトの始まる前年から結城の畑に通われ、
茨城県の在来種大豆を栽培されていました。

これ、実際にはとてもしんどいことです。
週6日間早朝から遅くまでみっちり働き、
1日だけの休日を、片道2時間の畑通いをするのです。
もちろん畑仕事も楽ではないです。

大桃さんは僕に言こう言いました。

「一歩踏み出すか踏み出さないか、最初は少しの差だけれど、
それが後々大きな差となる気がする。」

実際、大桃さんが畑通い始められてからお店の売上げが伸びました。

そして、お客さんを巻き込んで3反プロジェクトへ発展していきます。
3反プロジェクトは大桃豆腐のファンクラブだと思います。
ファンが増えれば売上げも伸びます。
また、お店に新たなストーリーが生まれると思います。
何か事が起こっているところには、人が集まります。

3反プロジェクトは間違いなく僕の針路に深く影響を与えています。

でも、やっぱ、しんどかったなぁ(苦笑)。

さて記事を書こうと思い、
大桃豆腐に来た頃を思い出そうとしていたのですが、
そういやそのころブログを書いていたなと思いだし、
改めて読んでみると、当時の生活や心持ちがありありと記されていたので、
今回の記事は横着させていただいて、そのブログをご紹介させていただきます。

とうふ屋diary

昔自分の書いたものを読まれるのはけっこう恥ずかしいものですが、
そのときの思いを伝えるにはこれが一番よいかなと。


今、大桃豆腐での2年間を振り返り、
本当に大桃豆腐で修行できてよかったと思えます。

僕は本当に幸運でした。

たくさんの種類の大豆で豆腐を作ることができました。

製法に正解はなく、固定観念は進歩の邪魔でしかないことを教わりました。

人とのつながりの大事さを知り、実際に多くの人たちとつながることができました。

「とうふ屋」の持つ大きな可能性を見せてもらいました。

そして何よりも、たくさん豆腐を作らせてもらいました。

大桃さんには一生かかっても返せないものをもらいました。

今はそれをどう返していくか、その術を知りません。

ただ、大桃さんに言われた言葉、

「恩はもらった人に返すんじゃなくて、他の人に返しなさい。」

その言葉を胸に、大桃さんの思いを、たくさんの人に伝えていきたいと思います。

2006年の9月、大桃豆腐近くの喫茶店で大桃さんと会いました。

その時、働き先として、大桃豆腐以外にもう一件紹介されました。
それは地方の豆腐屋さんで、水も空気もきれいなところ。
待遇も社員なので給与とボーナスも出るということでした。

環境の良さには惹かれましたが、
しかし、豆腐作りとしては機会まかせの部分が多く、
自分が将来やろうとしている「豆腐屋」のイメージとは違っていました。

「ものづくり」自体を楽しみたい。

もちろん、生きていくためにお金を稼ぐことは大事ですが、
ポンとボタンを押しただけでほとんど出来てしまうというのではつまらなさすぎます。

なので、その場で大桃豆腐で働きたいという思いを伝え、
大桃さんもすぐに承諾していただきました。

この時大桃さんから豆腐屋の現状についてこんな風にお話いただきました。

「町の豆腐屋は売れない売れないと嘆いていて、
それをスーパーが出来たせいだと言っている。
でも、事実はスーパーで売っている豆腐のほうがうまいからだ。」

それを聞いて、僕は、豆腐屋の未来に希望を持つことができました。
スーパーより美味しい豆腐を作ればやっていけるんだなぁと、とても楽観的に思いました。
そしてそれができるとなぜだか確信できたのです。

素人というのは怖いですね。

その後、何人もの豆腐屋さんに、
「なんで今時安定した職を捨てて、先のない、労働時間だけやたら長くて
儲からない豆腐屋なんて商売をやるんだ、気が知れないよ。」
と言われました。

そんな風に言われても、気持ちが揺らぐことはありませんでした。
その時は、自分のやるべきことが見つかったという喜びが大きかったのです。
そしてそれは今も変わりません。

修行開始は2007年の1月から2年間と決まりました。

意気揚々、道が定まり、晴々とした気持ちで池袋を後にしました。

「豆腐屋」というのが頭の中でグルグルし始めたころ、
寺田本家という酒蔵のお祭りである「お蔵フェスタ」に行く機会に恵まれました。
(ちなみに、今年は3月15日(日)に開催されます。)

寺田本家さんは、発酵過程において、
乳酸やアルコールといった人工的なものは添加せず、
蔵付きの酵母だけでお酒造りをされています。

身体にすっと入ってきて、悪酔いしない、
そんなお酒で、僕もファンで良く飲んでいました。

「お蔵フェスタ」では、たくさんの露店が並び、
もちろん振る舞い酒なんかもあって、とても賑わいます。

その露店の中で「麻こころ茶屋」さんという
コーヒーとお菓子のお店が出ていました。

僕はそこでチョコレートのケーキを食べたのですが、
そのケーキはおからを使って作られていました。

「このケーキのおからは池袋の豆腐屋さんでもらってるんですよ。
その豆腐屋さんは国産の色々な種類の大豆を使って豆腐を作っている
ちょっとマニアなお豆腐屋さんなんです。」

そんな内容のことをお店の方が話してくれました。
それが僕と「大桃豆腐」との初めての出会いでした。

インターネットで調べてみると、
なんと丁度人を募集しているところではないですか。

「農から豆腐作りをしてみたい人いませんか~」

というような呼びかけでした。

これは行くしかない!
早速大桃さんにメールをし、面会することになりました。

そのころ僕は「手作り」にはまっていました。
特に凝ったのは「パン」です。

干しぶどうやリンゴなどから自家製の酵母を起こし、
発泡の箱で作ったお手製の発酵期でパン生地を発酵させる。

残念ながら釜は自作できませんでしたので、
「焼き」はオーブンレンジを使用。

あつあつカリカリの焼きたてパン。
うまかったなぁ。

酵母の原料や、小麦粉の種類によって味が変わるし、
気温や湿度により、出来上がりが違ってきます。

とても面白い世界だなぁと思いました。
そしてどんどん「ものづくり」というものに
のめりこんでいきました。

本気でパン職人になろうかと、
パン屋の求人なども調べたりしていました。


でも、結局、パン屋には行きませんでした。

それは、
パン屋になればパンを毎日食べることになるでしょう。
俺って毎日パンを食べられるかなぁ・・・
パンは好きだけど、毎日となるとなぁ・・・

そんなことだったとと思います。

農産物を加工し小売りする商い。
パン屋のほかとなると・・・

蕎麦屋と豆腐屋。

蕎麦も僕の大好物。毎日食べても飽きない。
ただ蕎麦屋って夜の商売ってイメージがありましたし、
脱サラして蕎麦屋をやるって、
なんだか今さらって感も。

豆腐屋は朝が早い。
それって望むところです。
日が昇ったら起きて、沈んだら休む。

うん、これこれ。
もちろん豆腐は大好きだし、毎日食べても飽きません。

豆腐屋かぁ・・・

田植え、種まき、草取り、稲刈り、収穫・・・
土いじりを始めて、とても心が穏やかになりました。

そして、田んぼや畑に行きだして
何よりも良かったなあと思うのは、
今まで僕の生きてきた世界では出会わなかったような、
種々多様な職業の人たちと交流を持てたことです。
とても世界が広がりました。

農業に関心を持ったことの理由の一つは、
「食」に対する意識が変わったことです。
病気をして「食」が身体に及ぼす影響が
いかに大きいかということを身にしみて感じ、
そのおおもとである農業の現場を見てみたくなったのです。

そこで一番感じたことは、
生産の現場と家庭のテーブルまでの距離が
あまりにも遠いということです。

消費者は、その野菜が、誰が、どこで、どのような方法で、
さらに言えばどのような「思い」で作られたものなのかということを
知ることはとても難しいし、知ろうとする意識自体低いように思います。

生産者は自分の作った野菜が、
どういう評価を受けているのかということを知ることはなかなか難しい。

いま起こっている食の問題の根本はここにあると思います。

ならばなんとかせねばと。

むくむくとそんな気持ちが湧いてきたのでした。

まず、 朝、目覚ましの鳴る前に、
バチッーと目が開くようになりました。

体が軽くなり、疲れにくくなって、
通勤電車で座りたいと思わなくなりました。

30代後半でしたから、僕もご多分に漏れず
メタボ体型(特に腹回り)になり始めてましたが、
余分な脂肪がみるみるはがれ落ちていきました。

余分なものは脂肪だけでなく、
生活の中の無駄なものもなくなっていきました。

今まで当たり前に買ったり食べたりしていたものが、
自らの意志によるものではなく、
誰かがつくり出した「一つの」価値観によって
決定されていたことに気づき始めました。

変化は身体だけではなく、精神にも現われてきました。

周りからものがなくなり、
生活がシンプルになってくるのと比例して、
思考もシンプルになり、
「やりたいこと」と「やりたくないこと」が
はっきり判るようになってきました。

自然のリズムを感じて、日々を生きる。

そうして週末になると田んぼや畑へ向かうようになっていきました。